和歌山バス・和歌山バス那賀の廃止・休止路線(和歌山市中心部)

 和歌山バス・和歌山バス那賀または南海電鉄バス時代の路線で廃止・休止になった路線の情報を収拾するページです。
 和歌山バスファンクラブやメール、掲示板などに寄せられた情報をもとにページを構成しております。もし、このほかに廃止・休止路線をご存じの方、また掲載している路線で補足などありましたらお知らせください。
 1980年頃のバス路線図を再現しました。pdfファイルでご覧いただけます。なお、83年発行の道路地図などの資料を参照していますが、なかには80年頃にはすでに廃止された路線も掲載されていました。そこで、道路地図に掲載されている分はすべて記載しています(松江木の本線、竜門線など)ので、ご了承ください。資料を提供くださったぷりん屋さんにはこの場を借りて御礼申し上げます。
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■和歌山市内線関連
市内線 県庁前→市役所前→三木町→堀詰橋→ブラクリ丁→鈴丸町→紀和駅  昭和40年代に存在。ツーマン時代の路線で夕方を中心に運行されていたが、日中の運転もあった模様。逆の紀和駅発県庁前ゆきもあった模様。
市内線 南海市駅−本町2−車庫前  終日存在。和歌山駅−車庫前もかつては終日設定されていた。73年頃廃止?
市内線 南海市駅−城北橋−車庫前  もともと15番をつけていた系統。もともと「急行 車庫前」(城北橋のみ通過)で、城北橋経由と書かれるようになったのは83年頃。
市内線 南海市駅−城北橋−和歌浦口−紀三井寺営業所  70〜80年代に存在。入庫を兼ねていたようだ。
市内線(急行) 和歌山駅−公園前−車庫前  日限下発着の急行と停車停留所が違い、乗客には少々迷惑な存在だったようだ。
市内線(支線) 南海市駅−和歌浦口−浜の宮−紀三井寺団地−智辯学園前  智辯学園の通学向け。90年頃に廃止か。紀三井寺団地行きの延長扱いで5番をつけていた。
市内線 JR和歌山−公園前−和歌浦口−海南日限下・藤白浜  85年頃まで存在。02年4月改正で朝晩に復活。
市内線(急行) 南海市駅−県庁前−和歌浦口−海南日限下  70年代後半まで存在。1日1〜2本(うち1本は南海市駅1750頃)。急行便は城北橋経由。乗車口横に「急行」のサボがついていた。
市内線(急行) 和歌山駅−公園前−県庁前−和歌浦口−海南日限下  廃止時期不明。
市内線 紀三井寺営業所前−新和歌浦  85年頃存在。乗客はほぼ皆無。送り込み回送を兼ねていたか?
市内線 (市内線)−南海市駅−本町2−和歌山駅
(市内線)−和歌山駅−本町2−南海市駅
 84年頃に約半年間、早朝のみ運転。市内線経由で南海市駅・和歌山駅に着いたバスがそのまま和歌山駅・南海市駅ゆきとなり運転されていた模様。
市内線 堀止−和歌山駅  70年代後半から80年代前半にかけて朝ラッシュ時に運行。和歌浦口始発の幕だった。
市内線 南海市駅−本町2−紀三井寺団地
南海市駅−本町2−紀三井寺団地−智弁学園前
和歌山駅−紀三井寺団地−和歌山駅
 智弁学園開校時に紀三井寺団地ゆきの一部が智弁学園前まで延長。智弁学園前行きが廃止になったときに、現在のように紀三井寺団地を一回りするルートになり、同時に和歌山駅発着になるもそれも09年10月改定で廃止。
 なお、紀三井寺営業所廃止後しばらくは紀三井寺団地内を反時計回りで運行していたが、その後は交差点の混雑を避ける意味合いもあり時計回りに変更になっている。
雑賀崎循環線 南海市駅−雑賀崎−南海市駅
和歌山駅−雑賀崎−和歌山駅
 当初はこの形態での運転。後に市駅−雑賀崎−和歌山駅の形態に。
雑賀崎循環
(逆回り)
南海市駅−水軒口−西浜−雑賀崎−新和歌浦−水軒口−JR和駅  1980年代半ばまで運行、毎時1本。夏場などは雑賀崎地区が右回り一方通行になっていた関係で、左回りが、長路−新和歌浦間を奥天神経由でショートカットしていた。
▼70年代半ばまでは、雑賀崎循環の区間運転として新和歌遊園発着の便も一部にあった模様。ただし、行楽期の雑賀崎地区一方通行規制のため、実際は大半が新和歌浦発着だった。市内線・西浜線にもあったかもという証言もあるが、海南、紀三井寺所属車両に該当方向幕は装備されていたものの、実際には運転はされていない模様。方向幕は「直 和歌公園」(直に○がつき、その下に和歌公園と記載)だった。
▼雑賀崎循環線では大型車が運行していた頃は新和歌浦−雑賀崎−長路間に誘導員が同乗し、適宜交通整理をしながら運行が行われていた。長路停留所前に誘導員が待機する小屋があった。
▼90年代前半まで、夏の海水浴シーズンは、片男波海水浴場に行く車での渋滞が発生するため、不老橋経由の新和歌浦ゆきが和歌公園経由になっていた記憶があります。屋形線の新和歌浦行きがどうしていたかまではわかりませんが…。
▼70年代の土曜日午後にはよく臨時便が運行されていた。バス通学が多い和大付属学校では混雑を避けるために授業を早めに切り上げる措置まで行われていた。
▼1970年代、本町通り工事のため、3ヶ月ほど迂回措置が執られていた。現在の地名で言うと、市駅−本町4−本町3−城北公園駐車場−京橋駐車場−京橋−公園前という迂回ルートであった。

 

■和歌山市内準幹線
環状線(支線) 南海市駅−築地橋−青岸橋−舟津町−土佐町3−県和商前−小松原5−堀止−新堀橋−雄松町3−海草橋−吹屋町4−国鉄和歌山駅  毎時1本で、朝ラッシュ時に通学向けに市駅発県和商止まり、小松原5止まりが存在。環状線は80年代前半までは築地橋−舟津町間は青岸橋経由ではなく、直接大浦街道を通っていた。
環状線
(経路変更前)
南海市駅−築地橋−青岸橋−舟津町−土佐町3−雄松町3−広瀬中ノ丁−大橋−田中4−JR和駅−貝柄町−南海市駅  96年頃、田中町交差点の南進車線の右折禁止が施行されて手平1丁目経由になった。
環状線
(区間運転)
南海市駅−貝柄町−和歌山駅  朝に1日1本だけ存在。
環状線 南海市駅−築地橋−青岸橋−舟津町−土佐町3−保健所前−手平1−JR和歌山−貝柄町−南海市駅  02年4月改正で分割され、湊線、寺町線、塩屋線の一部として再編。
寺町線 南海市駅−城北橋−保健所前−JR和歌山駅  02年4月改正では市駅からは築地橋経由。それが城北橋経由になり毎時1本になるも利用はふるわず、12年10月改正で廃止。
築港線
(経路変更前)
JR和駅−田中4−大橋−県庁前−築地橋−青岸橋−和歌山港  こちらは田中町の交通規制以降は新内−餌差町経由に。
築港線 JR和歌山−餌差町−県庁前−築地橋−青岸橋−和歌山港  02年4月改正で青岸橋−和歌山湊間を廃止し、湊線として再編。
 09年1月改定で経路を変更して復活するも2012年4月改正で再度湊線に吸収。
西浜新和歌線
(支線)
新和歌浦−西浜−築地橋−県庁前−公園前−本町2−市駅前  1980年代半ば、従来の西浜新和歌浦線の一部の便を振り替える形で登場。データイムのみで毎時1本、90年頃?廃止。
屋形線(支線) 南海市駅−ブラクリ丁−屋形町−雑賀通−雄松町3−島崎町2−屋形町−ブラクリ丁−南海市駅  屋形地区を一周する路線。昭和50年ごろは昼間30分間隔、紀三井寺営業所の日野大型が充当。
屋形線(支線) 南海市駅−ブラクリ丁−屋形町−島崎町2丁目−桐蔭高校前−新堀橋−宇須−高松−和歌浦口  塩屋街道開通後は、新堀橋−塩屋−不老橋−新和歌浦に変更。和歌浦口行き時代は、日中1時間に1本で、和歌山営業所の三菱中型車が運用。
屋形線
(区間運転)
南海市駅−ブラクリ丁−屋形町−雄松町3  85年頃には朝ラッシュ時に存在。信愛高校の通学向け?
屋形線 南海市駅−ブラクリ丁−屋形町−雄松町3−新堀橋−塩屋−医大病院・新和歌浦  02年4月改正で島崎町2−島崎町7間を鷹匠町5経由とショートカットする路線に変更、同時に新設される塩屋街道経由系統とともに塩屋線という路線名に変更。
塩屋線 南海市駅−ブラクリ丁−JR和歌山駅−新手平−和歌川大橋−塩屋−医大病院   02年4月改正で新設。12年4月改正で本町経由に変更して継続するも、和歌川大橋区間の利用が伸びなかったことと合理化のために14年4月改正で廃止。 
手平線 南海市駅−本町2−岡山町−大橋−手平  和歌山営業所の中型車が充当。本町2−岡山町間は和歌山城のお堀に沿って走る。当初は手平で折り返し運転をしていたものの、廃止直前の頃には手平地区を循環運転していた。発着が駿河町(現在の京橋の市営駐車場付近)だった可能性も。市駅4番乗り場からの発車だった。
紀三井寺線
(区間運転)
宮前口−和歌山駅−ブラクリ丁−南海市駅  70年代後半から80年代前半にかけて朝ラッシュ時に運行。藤白浜始発の幕だった。
医大駅連絡線 紀三井寺駅−医大病院 99年5月の医大病院移転開業とともにシャトル便として新設。紀三井寺駅改良工事で駅西口−医大病院東口が徒歩10分で結ばれたことから利用が激減、09年1月改定で廃止。
▼1971年の黒潮国体開催時には紀三井寺営業所前ゆきの便の大半は紀三井寺競技場前まで延長運転。
▼装備されたものの使われなかった方向幕の中には「紀三井寺・室山団地」、「新和歌浦 直」(直に○印)、城北橋経由の海南方面などがあった。
▼病院前(現・日赤医療センター前)始発の環状線には専用幕が用意されていた。