和歌山バス・和歌山バス那賀の廃止・休止路線(和歌山市北部・東部)

■和歌山市北部近郊
紀三井寺
御膳松線
紀三井寺営業所前→県庁前→城北橋→北島→御膳松
御膳松→北島→本町2→県庁前→紀三井寺営業所前
 80年台まで存在。80年頃までは南海市駅には入らず。ゆきは城北橋、かえりは本町経由。
和歌山駅
御膳松線
国鉄和歌山駅−北島橋−御膳松  1976年頃に現行の紀ノ川大橋ルートに。
北島橋経由の頃は貝柄町経由。
松江木の本線 南海市駅−梶取−東松江−木ノ本  深山線の古屋から木の本線に入るルート。72年頃、工事のためか、古屋折り返しの時期があった。方向幕は木の本ゆきの表示で、フロントガラスに古屋ゆきである旨の手書きの紙が貼られていた。
淡島線 和歌浦口−南海市駅−中松江−坂田−加太駅前−大谷川−淡島神社前  現在の深山線から分岐し、加太海岸沿いを南下、淡島神社までの便。和歌浦口発着は出入庫を兼ねた1往復のみ。74年頃、橋梁工事にともなって深山線とともに大谷川折り返し。方向幕は「淡島神社前」「加太・深山」のまま、フロントガラスに「大谷川」表記。放送テープも吹き替えられていた。
深山線 南海市駅−中松江−坂田  現存の44番深山ゆきの短縮版。43番をつけており、坂田にはバスの転回スペースがあり、休憩用の小さい小屋が建てられていた。
深山線  深山−坂田−つつじが丘−東松江駅−榎原−つつじが丘−坂田−深山
 深山−坂田−つつじが丘−東松江駅−榎原−つつじが丘−坂田
 坂田−つつじが丘−東松江駅−榎原−つつじが丘−坂田
 和歌山市が分譲している「つつじヶ丘」へのアクセス向上を目的に06年9月に新設。河西地区だけで運用を完結させるラケット上の路線で東松江駅を鉄道連絡駅と位置づけたものの、1年たっても利用が全く伸びず、新設1年で廃止に。
 和歌山市が路線新設を働きかけた向きもあるが、和歌山市のPR不足もあったように思われる。
深山線 南海市駅−つつじが丘−深山  2016年4月1日廃止。 
島橋線 南海市駅−島橋−南海市駅  御膳松線とセットでラウンドダイヤを形成。島橋地区を一周する循環運転を行っていた。09年10月改定で廃止。
御膳松線 JR和歌山駅−城北橋−南海市駅−御膳松   住金とともに成長した路線は住金内の人員削減などの影響をかぶり、乗客減少の憂き目に。末期は3時間に1本。13年10月改正で廃止。
六十谷線(一部) 南海市駅−さんさんセンター−川永団地   和歌山市が建設したさんさんセンターへ寄り道する形で開設も、立地を考えたら利用は少ないのは当然とも言えたかも。わずか2年と1ヶ月で幕を閉じた。
りんくうタウン線 JR和歌山駅−南海市駅−和大駅−イオン泉南−りんくう往来南−りんくう駅   2012年4月改正で土休日1日5往復新設。13年10月改正で和駅発が西口に変更、市内各停留所からの乗車が可能に。和歌山市内相互、大阪府内相互の乗降は不可だった。14年4月改正で廃止。
木の本線 南海市駅−次郎丸−木の本−ふれあいの郷  南海市駅−木の本間の路線で、00年8月から一部がふれあいの郷まで延長する形態だった。03年に全便がふれあいの郷まで延長されるも、2012年から徐々に減便。2013年には御膳松線廃止区間を一部代替する形で紀ノ川大橋経由になるも2017年にふたたび元の形態に戻るなど、経由地が頻繁に変わった。2019年3月で廃止予定も暫定的に1年間延長され2020年3月に正式廃止。
▼このほか、80年くらいまでは御膳松、島橋、木の本、鳴滝団地、川永団地の各路線には、1日4往復ずつ、坂田ゆきで2往復、深山、淡島神社前行きで1往復ずつ、和歌浦口発着の運用があった。開設は73年、御膳松便が最初で、市駅は経由せず、本町経由(夜の御膳松ゆきのみ城北橋経由)。75年以降に市駅経由が新設、島橋、木の本、鳴滝団地も和歌浦口発着になり、最盛期はデータイム毎時1往復にまで成長。深山・淡島神社・坂田−和歌浦口は77年になるまで市駅を経由せず(加太線があるため?)。
 これらの和歌浦口−北島橋経由便が廃止になったきっかけは、乗客の減少に加え、北島橋の大規模改修工事で大型車両の通行が禁止となり、全便紀ノ川大橋経由、和歌浦口発着も休止となったことも大きく影響を及ぼしたようだ。全面廃止は88年頃?
▼六十谷線(川永団地ゆき)は73年の全便ワンマン化と同時に現在の梶取経由に。それまでは福島経由(現在、南海紀ノ川自動車学校がある筋)で、現在の楠見線に「東福島」があるのはその名残。鳴滝団地を経由するようになったのは78年頃。
▼島橋線の開設は加太線の北島支線が廃止になった1967年頃、現在の新道バス停から右折し野崎小学校の前を通行、島橋で一周はせず。72年頃から朝ラッシュ時に土入橋経由となり、73年のワンマン化と同時に原則土入橋経由(朝夕は梶取交差点を左折して野崎経由)、島橋一周ルートに。現在の北島西口−野崎−島橋地区一周のルートになったのは83年頃。
▼02年4月改正で復活した島橋南口始発の南海市駅ゆきは70年代半ばから80年代はじめまで実在していたが幕は市駅始発と同じ「南海市駅→南海市駅(線の上に「島橋」、下に土入橋経由と記載)」をそのまま使用。

 

■和歌山市東部近郊
亀川線 JR和駅東口−竃山神社前−冬野口−亀川−海南藤白浜  長らく1日6往復体制で運転されてきたが2012年4月改正で減便、10月改正で廃止に。
亀川線(支線?) 南海市駅−本町2−岡山町−大橋−日前宮前−竃山神社前−朝日−海南藤白浜   うち約3本が竃山神社前から田尻まで足をのばしていた。海南営業所の中型車が充当。
亀川線 南海市駅−本町2−岡山町−大橋−手平−田尻−竃山神社前−朝日−海南藤白浜?  上記田尻への延長運転はこの路線の名残か。
亀川線 海南日限下−海南駅前−横山−亀川−冬野口  70年代、夕方に冬野口止まりがあった。
冬野線 海南日限下−海南駅前−横山−智辯学園前−冬野−安原  現在の亀川線とは横山−冬野間の経由地が違う。87年の廃止。
和佐線 JR和歌山−和佐  95年頃休止。宮街道を東進、インター南口交差点から右折、県道を通っていた。宮街道整備以前は美園町から宮街道の1本北の道路を東進していた模様。方向幕67番をつけており、02年の系統番号導入までは方向幕も残っていた。
岡崎線(支線) 南海市駅−JR和歌山−井辺−岡崎団地−竈山駅前−交通公園  和佐線同様、90年頃の路線図には記載あり。最終期は日曜休日に岡崎団地発が1,2便しかなかった。
岡崎線(支線) JR和歌山−岡崎−交通公園  交通公園へのアクセスとしておおよそ2時間に1本運転。かつては市駅発着だった。01年11月改正で休止。
岡崎線 JR和歌山−岡崎−安原  02年4月改正で東中学校前−安原間を廃止、信愛短大発着に変更。
岡崎線 (南海市駅−)JR和駅東口−岡崎−信愛短期大学  02年4月改正で信愛短期大学発着に。03年6月改正で出入庫運用を兼ねて南海市駅発着も登場。しかし、乗客は伸びず、休日運休に。学生利用も伸びず、利用客は相当少なかったという。2020年3月で廃止。
▼紀伊風土記の丘、安原発着便はかつては市駅発着で、市駅−和駅間にシャトルバスが投入されるのに合わせて系統分離されたようだ。さらに、朝に県庁前行きが、夕方には県庁前発もあった。朝の県庁前ゆきは鳴神団地から2本、岡崎団地、安原から2本。夕方17時台の県庁前発は東急イン前付近のバス停から、紀伊風土記の丘2本、安原2本、和佐1本、それに和歌山駅止3本の陣容。すべてB623E。この便は土曜日中にも存在?ブラクリ丁経由もあったかも、という情報も。
▼鳴神線はかつては鳴神団地までの路線だった。1975年の風土記の丘延伸後は朝晩の何本かは鳴神団地止めのままであった。また、経路が2通りあり、現在の日前宮前を通る路線のほか、田中町から宮街道に入り、花山交差点を右折する経路もあった(これは鳴神団地周辺の下水道工事に伴う措置との情報)。
▼亀川線には80年代まで亀川から且来(あっそ)までの路線も存在。藤白浜−且来間の区間運転だったのか、通常運転の途中に寄り道をしたのかは不明。
▼亀川・岡崎・鳴神線が和歌山駅西口に発着していた頃は、田中口地区の一方通行規制のため、和歌山駅発が和歌山駅−美園町−東警察署前(現・木広町)−田中口、和歌山駅ゆきが田中口−吹屋町−美園町−和歌山駅と、田中口−美園町間の経路が異なっていた。

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