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2006年1月17日

●埋没していく意識と記憶

テンプレの再構築は後回しにして今日はこのことを書かないわけにはいきません。


これまでに体験したことのない揺れで目が覚めた11年前の今日。

一旦消えた神戸震度6の表示が再びついたあの瞬間。
コンビニの様子が映し出され、7時を回る頃には各地の状況が徐々に。
「火の手、煙が見えます」
「視聴者からの連絡によりますと阪神高速道路の高架が落下」

・・・などという情報を見つつ、不安を抱えたまま、高校へ。
和歌山では貴志川線以外の鉄道は全線運休。貴志川線に乗って和歌山駅に着くといつもなら満員電車からはき出される大量の通勤客の姿はなく、広い構内はもぬけの殻のよう。

センター試験が終わった後で授業は軽めだったはずです。
体育の時間に体育の教官室に準備に行った際に映し出されていたテレビが空撮で伝えている阪神高速の倒壊。帰宅する際に和歌山駅で求めた夕刊が伝える死者数百人の文字。

三宮駅近所のアーケード街の中華料理店から出火の一報。もしや、前年の遠足の際に昼食を食べに訪れた店やないかと不安に。ラジオもテレビも震災報道一色。時間を追うごとに増える犠牲者の数にやるせない気持ちにさせられ、テレビを見るのをやめました。

・・・それだけは克明に覚えています。
むしろ、センター試験とこの震災以外、この頃の記憶はすっとんでいます。

知人の日記での記載がなければ、テレビでの特集がなければ、証人喚問やの証取法違反やの最高裁判決やのの大きなニュースに埋もれて今日がその日だったことを忘れていたかもしれません。
和歌山も他人事ではありません。当時のことは強烈に印象に残っているんです。なのに。


今日、神戸から1件仕事の依頼がありました。仕事自体は震災とはまったく関係ないものですが、その仕事が生み出されるまでの経過を辿れば、その震災に行き着きます。
そんな仕事を今日依頼されたのも何かの縁かもしれません。神戸に行く前日も南紀へ1日出張なのですが、お受けすることにしました。


和歌山にいる自分が何をできるのか。
仕事の立場上、もしもの時はなんらかの形で動かないといけないポジションにいますので、いつかは考えないといけません。それもわかっているのに・・・もどかしさを感じます。

せめて、意識と記憶を埋没させないように、どこかに留めておく必要はあるのでしょう。


<防災研究教育プロジェクト>
 南海・東南海・東海地震が同時発生した際の津波のシミュレーションが2Dと3Dの動画で見ることができます。
 http://bousai.joi.wakayama-u.ac.jp/archives/tsunami_cg.htm
ファイル容量が非常に大きく、日中でも回線が重たいので、ダウンロードは根気よく試みてください。