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2006年12月28日

●メディアと世論

 今年の初め、パネラーとして招かれた小さなパネルディスカッションでお会いした、メディア学が専門の大学の先生とお話ししていたら「和歌山ほど小さな新聞が生き残っている県は珍しいんですよ」と。

 確かに、日刊紙で挙げても、和歌山市周辺はわかやま新報、御坊は日高新報、紀州新聞、田辺は紀伊民報、新宮は南紀州新聞と紀南新聞・・・ってな感じです。例えば紀南に行けば、紀伊民報は取っていても四大紙は取っていないという家も珍しくないとか。
 あとミニコミ紙も多いのも和歌山の特長ですね。ニュース和歌山は無料のタブロイド判ミニコミ紙としては全国屈指のレベルらしいですし、海南周辺では一時期5種類ほどミニコミ紙が乱立した時期もありました。

 こんな感じで挙げていくと、和歌山には40~50の新聞があるとされているそうです(毎日新聞12月28日社会面より)。木村前知事の逮捕容疑となった案件でも、不利な記事を書こうとした新聞への工作費が取り上げられていましたが、いわゆるゴロツキ紙的な新聞もあるみたいです。

 で、よく考えてみると、和歌山にはそりゃたくさんの新聞がある。でも県域をカバーしている新聞がないんですよね。ほかの県には大抵あるんですけど。独立U局としては日本一少ないカバー人口を抱えているテレビ和歌山、奈良にはないAMラジオ局として和歌山放送はありますが、県域新がない。
 要は、一部を除く大多数の県民の情報源は四大紙の和歌山版とミニコミ紙しかないわけなんですよね。和歌山に対する論評が繰り広げられる新聞媒体がない。これって県民世論の形成には少なからずマイナスの作用を及ぼしていると思うのです。

 四大紙の記者とは何人も知り合いましたが、ほとんどが転勤ですでに和歌山にいません。和歌山にじっくり腰を落ち着けて、継続的に和歌山の動きを書き続ける新聞記者が和歌山市にはいない。そりゃ何が起こっているのか県民には深いところはわかりようがありません。

 もう何年も前ですが、仙台の河北新報から電話取材を受けたことがあります。その内容は記者コラムに取り上げられまして、「掲載させて頂きました」とご丁寧に紙面を送ってくれました。拝見しますと、もちろん全国的な動きは共同通信配信の記事がメインですが、東北のご当地記事も豊富。記者コラムも仙台でのとある活動の分析記事でして、例えば和歌山ではこういうことをやっているよ、とわたしが取材でお答えした内容が要約して記載されているのです。ご当地の活動の分析をするのに、全国のほかの事例を調べて、ご当地に合った提案をする。まさに県域紙の立場です。

 こういう新聞が和歌山にあれば、県民世論は変わりうる、と思うのは私の思いこみでしょうか。