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2006年2月14日

●ミッションとパッションとセッションの狭間で

先々週から少し体調が思わしくないからでしょうか、クスリの副作用が最近きついように感じます。
明日以降、半月で出張が7回あるなかで、さてカラダ持つかな、とマジで心配になってきました。。。
予定入れた当初は行けると思ってたんですが・・・。ホントはいけないのですがクスリ止めて様子を見るかな。


さて、今夜のエントリーは、たぶん市町村合併が盛んな全国各地で起きている問題の一端だと思うのですが。

わたくし本職以外にいくつか関わりのある組織があるのですが、そのうちのひとつが、自治体合併に伴う行政施策の大転換のなかで非常に揺れているのです。

自治体側は、合併に際してその分野では県内自治体ではおそらく2番目となる条例を制定し、その条例の運営方法をすごく柔軟に考えてくれているんですね。それまで各自治体で持っていた制度を一本化するわけで、しかも合併に伴うその他膨大な庶務を片づけながらの作業ですから、その手間と苦労は想像に難くありません。また、昨今の地方分権や「官から民へ」という地方自治の流れも一定は理解していただいているものと考えています。もちろん、ただの行政の責任放棄ちゃうの、という意見もあって、そこは今後仕様書を作成する段階で議論することになると思います。

が、その制度を運営する側は、運営目的は同じなのですが、合併前の各自治体で成り立ちも違えば運営形態も異なっていたわけで、ミッション(目的)は同じでもパッション(熱意)には各自治体間で大きな開きがあります。先日来、合併による行政施策の一本化に伴って生じる各種実務などについて情報収集をしたり、情報交換を行ったりするセッション(会合)を開いているのですが、想いが強くて意見をバンバン言えるところとそうでないところとの温度差がありすぎて、一部から大きな反発を招く事態となってしまったのです。

それをコーディネートする立場にいるはずのおいらですが、その組織につきっきりでいるわけではないために状況もうまくつかめず、ついつい本業の考え方からドライな考え方をしてしまって、余計にこじらせてしまった部分もあるようで・・・。

方法論としては、どの意見もわかるのです。「想いが強いところ」の意見は、「最初にルールを明文化しよう」というわけで、行政の施策を実施する上では必要不可欠なことなのです。しかし、これまで担当課との折衝に当たってこられた方は、行政の状況も重々承知されており、新体制で事業を運営するなかで最初から運営方法をコンクリートするのではなく、「走りながら一緒に問題点を洗い出して改善していこう」というご意見。

ドライな見方をすれば、前者が当たり前なのです。本来論でいえば、仕様書のなかで必要な事項をきちんと謳い、きっちりとした事業を運営していくのが当然の責務です。それは本職の経験からも確かです。
しかし、これまで各自治体で運営形態が別だったモノを一気に一本化すること自体に無理があるのも事実で、その意味では後者の意見もごもっともで、互いの合意でゆるやかに事業を進めていくのも方法論としてはあり、なのです。

この問題のそもそもの発端も、「議会を通らないと正式に公にできない」という本来論と、「原案はあったんだから、議会でどうなるかは別としても先に見せてほしかった(=そうすれば少しでも早く議論できたのに)」という方法論のぶつかり合いなんですよね。今は本来論者と方法論者が入れ替わっているのでさらにややこしいのです(^^;;;

ミッションは同じ。でもパッションにすごい差がある。ということはセッションを開くたびに溝は広がるだけ。

週末、東京出張の間、このことを忘れていたのですが、今夜一気にまたその愚痴(というか怒りというか妬みというか)が噴出してきて、難儀しているところです。一度こじれた関係はなかなか修復できませんから・・・。

もう少し早めに気づいて手を打っておけばよかったのですが、わたしはわたしで別件で追われてまして・・・って言い訳がましいことを言っても今となっては仕方なく、かといって時だけが解決するわけでもなく、うまく丸め込める案を考えるしかないんですよね。どうなることやら。